おのちゅうこう

明治41年〜平成2年(1908〜1990)

白沢町振興局 白沢焼きおのちゅうこう詩

沼田ー日光線 
国道120号 椎坂峠  

望郷の詩人
 おのちゅうこう文学碑

椎坂峠からの子持山・沼田市

 麦 秋
    上越線の車窓より
ふるさとは麦の秋なり。
ちらほらと農夫らは麦を刈るなり。
赤々と、赤城につづく畑いくつ、
白壁の家も見えそむ。

蚕もそだちたるらん、
ふるさとの桑は茂れリ。
          (「牧歌的風景」より)

 「麦秋」が生まれたのは、上越線に乗って渋川を過ぎ
綾戸のトンネルを抜け岩本駅にかかり、麦の黄色に熟れ
た光景を見た時のことであった。黄金色に染まった麦畑
に隣り合った青々と茂る桑の葉を見た瞬間のことである。
ここからはまだ、故郷は現れない。
 小学校四、五年の頃である。夏になると農家は忙しい。
麦刈り、田植え、春蚕が最盛期をむかえ毎日の桑摘みと
休む間もない。労働で汗ばんだからだに夏の陽は容赦な
く照り続け、膚を焦がす。落ちる汗。滴らせながら動き
回る……。桑摘みの時、枝にからみついて咲いていた赤
い昼顔の花。
 少年時代の思い出が懐かしくもよみがえる。

       

おの ちゅうこう  本名 小野忠孝

 詩人。児童文学者。明治41年白沢町高平で生まれる。父貢母こま。6歳の夏、
母こまが34歳で死去。秋、伯母の家に引き取られる。沼田中学(沼田高校)に
入学、文学に熱中する。19歳の時、群馬師範(群馬大学)に進み、川場小学校に
赴任。24歳の時、河井酔茗に師事し、27歳で上京。大森、本郷の高等小学校に
勤めながら次々と詩集を出版。33歳で退職し、作家活動に専念。
 昭和17年発表の「氏神さま」が文部省推薦に。昭和40年「風は思い出をささ
やいた」で野間児童文芸奨励賞。昭和54年児童文化功労者表彰。昭和56年
「かぜにゆれる雑草」で日本児童文芸家協会賞。
 平成2年82歳で没す。
 
 

もどる