2003・5・1 

         我が家は完全バリアフリー

それは、私が車椅子生活だから
もう18年も前のこと
交通事故のため頚椎損傷・四肢麻痺になってしまいました
38才になったばかり・・・    
今思えばまだ若かった
もう、遠い昔のことになってしまいました
今では車椅子の生活があたりまえ
やっぱり『五体満足』って羨ましいです

こんな私の楽しみは四季の移り変わりの中で
我が家の小さな庭に咲く花々を眺め、小さな成長を喜び
絵に描きとめておくことです
筆を握るのもやっと、描く線はふらふら
これがまた味があるとおだてられ、自己満足で
絵手紙にして友達との交流を楽しむ毎日です

2003・7・1

                五体満足

    私って、やっぱり幸せなのかなー『五体満足』でなくても
    何故って・・・・・
    だって普通の人では見られない景色が見えるから
    目の高さが違うと景色も感じ方も違うような気がするから
    太陽はより高く、地面に近くなったぶん、小さな出来事に心ときめかし
    今まで、見えなかったものが見えてきたり出来るのだから・・・

    もし、私がずーと普通の生活をしていたら
    気づかずに通り過ぎてしまったことが沢山あるような気がする
    新たな出会いの中で、優しさや頑張り、そして沢山の勇気ももらったし・・・
    何よりも今、いちばん幸せだと思うことは
    『人の優しさを心から感じている』こと

2003・9・1

         私からありがとう、あなたからありがとう・・・

     あなたが当たり前に出来ること
     でも車椅子の私にとってはとても難しく、出来ないことが沢山あるんです
     そんな時、優しくしていただいた方に『私からありがとう』・・・

     私に出来ることってどんなこと?
     何時も探し求めているんです
     長い入院生活で、そして毎日の生活の中で嬉しかったこと、癒されたこと
     私からあなたにお返しすることが出来るでしょうか?
     私に出来ることって、とっても少ないけれど
     私に出来ることであなたからの『ありがとう』が返ってきたら
     とてもいい気分に浸れるときです

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2003・11・1

              やっぱり笑顔が素敵

     誰もが持っている宝物
     それは笑顔でしょうか・・・
     怒った顔や悲しい顔や暗い顔をしていたら
     周りの人だって、そんな気持ちになっちゃうし
     そっとしておいてあげようと、気を使ってしまいますよね
     明るい気持ちでいる時は周りの人も楽しくおしゃべりできるし
     幸せな気持ちになれると思うの

     だから笑顔は素敵な宝物
     悩んだり苦しんだりすることは誰だってあるけれど、早く笑顔を取りもどそう
     私も『笑顔の素敵な人』になりたいと思う今日この頃・・・

2004・1・5

         スタートライン

2004年、どんな思いを胸にスタートラインに立ったことでしょう・・・
【夢】は・・・   そんなに欲張っても無理ですね
私にも出来る【小さな夢】をかなえるために
今出来ることを出来るうちにやっておきたいとおもっています。

長い道のりのうちには嬉しい、悲しい、苦しい等
さまざまなスタートラインがあるものですね
走ったり、歩いたり、立ち止まったり、転んだりしながら・・・
今年も頑張って進んで見ましょう

2004.3.3

            はじめまして

今年もスタートして、はや2ヶ月・・・
嬉しいこと悲しいこと・・・そして感動
いろいろな事が通り過ぎていきます

我が家では春の訪れと共に、小さな命が誕生しました
平成16年1月23日生まれ。『優奈』。初孫ちゃんです
小さな小さな手、足そっと抱っこしないと壊れてしまいそう
皆からいっぱいの愛をもらって、すくすくと大きくなって下さいね
パパ、ママ、私を生んでくれて有難う
この世に生まれて良かったと思えるように・・・

2004.5.5

           Home Page を開いて1年

      パソコンのパの字も解らなかった私・・・  
      障害者ボランティアの方に、メールとデジカメの扱いを
      教えていただいたのがきっかけでした

      主人にHome Page 作ろうよと誘われ、そんなの無理、無理と言いながら
      皆さんの力をお借りし何とか更新を続けることが出来ました
      退屈な私の生活に新しい楽しみができ
      時間の経つのも忘れることもありました
      でも、何時もパソコンに振り回され
      楽しみから苦しみに変わることも多かった・・・
      そんな時Home Page を訪れてくれた人達からの励ましや暖かいメールを頂き
      嬉しくて新たな勇気と喜びを胸に
      【今年も続けてみよう】と新たな一歩を踏み出した
      これからも「アズちゃん」のことよろしくね・・・

2004.7.7

            心のバリア

ここ数年、すっかりバリアフリー化が定着し、障害者福祉が考えている
それに加え、いまではユニバーサルデザイン(誰でもが使いやすい)の町作りへ
とそのため私たちにとってはずいぶん住みやすく、暮らしやすくなって来た
外へ出れば『何かお手伝いしましょうか?』などと声をかけられることも多くなり
イベント会場などでは優先され優しくしてもらえる
出かける人も多くなった

でもやっぱり一番大切なこと、それは【心のバリア】を取り除くこと
人々の親切を受け止め、素直な気持ちになれること……
取り掛かる前から駄目・嫌ではなく、まずは誰とでも仲良くし心を開いてみよう
きっと世界が広がって自分にも出来る何かが見つかるかも知れないね

2004.10.1

           美しい涙

2004年夏・アテネオりんピック
さまざまな思いを胸に頂点を目指して戦った、興奮と感動の17日間
栄光を勝ち得るために、あらゆる困難を克服し自分と戦い続けた日々…

夢かなって表彰台に立った選手の涙
夢かなわずして崩れ落ちる選手の涙
流した涙の分だけ強くなって新たな挑戦に向かって走り続けるだろう…
応援をしている者も沢山の涙を流した
嬉し涙、悔し涙、みんな美しい涙…
大きな希望と頑張り
そして美しい感動の涙をありがとう…

2005.1.1

          うさぎとかめ

幼い頃、母親のひざで聞いた話『うさぎとかめ』
長い病院生活にあせりを感じ【私はかめ】と、自分をかめに例えた事がある
何をするにも時間ばかりかかり、出来ればいいが
どうにもならず泣きたくなってしまう
素早く出来る人が羨ましかった…
そんな時『うさぎとかめ』を思い出しては自分を慰めていた
どんなに遅くてもいい、失敗してもいい、かめになったつもりで歩き続けよう
細かなことにこだわらず、あせらずゆっくり歩こうと…

ゆっくり歩いて20年どんな道のりだったのか振り返る
辛いこと、悲しいことは多かったけれど今、こうして何も無かったように
いられる事が本当に幸せなんだな―と…
自然災害の多かった年、突然遭遇する事故、何が起こるかわからないものだ
与えられた『命』を大切に2005年もゆっくり歩いていきます

2005.5.5

         この葉書、誰にだそうかな…

五月晴れの空、光が眩しい
思い切り窓を開け放し 深呼吸をする
天気がいいだけで一日が幸せな気分で過せるような気がする
マイペースで掃除、洗濯、片付けと…
どんなに急いでも『カメ』の私にはなかなか仕事がはかどらない
花たちの語らいが聞こえてくる
仕事半ばで庭にでる
二週間ほど前に主人が蒔いたスイトピィーの芽がグングン伸びてきた
バラの蕾が大きくなった
苺の花が五個咲いた…
こんな小さな発見が私の喜び
そして一枝摘んだ可愛い花を絵手紙に描く

2005.7.7

       星に願いを

今こうして 星空を眺められること
それだけで幸せ…
でも、もしも願いが叶うなら
右足と左足を交互に出して歩いてみたい
そして広い野原に寝転んで
大きな空をキャンバスに
大きな大きな絵を描いてみたいな
もうひとつ五本の指が動いたら
下手なピアノを弾きながら
子供たちと大きな声で歌いたい
楽しい歌を…
もう忘れていたはずの願いだったのに

七夕祭り
私が幼稚園に勤めていた頃
たくさんの子どもたちとタンザクに
お願いごとを書いて笹に飾ったこと
遠い日の想い出

2005.9.5

          あれから二十年

今年もまた、暑い夏がめぐってきた
二十年前、私は沼田から遠く離れた箱根の病院にリハビリのため転院していた
事故後5ヶ月
いまだベットに横たわったまま、自分では何も出来ず、先のことは何も見えず
何をどう考えていけば良いのかが分からない
山ほど積まれた問題があるのに 何ひとつ解決法も見つからない
そして残された命をもてあましていた…
セミの鳴き声、人のしゃべり声、リハビリ室から聞こえるピアノの音
もう何もかもがいや…

そんなある日『日航機御巣鷹山墜落事故』のニュースを耳にした
看護士さんが新聞を手に
「これアズちゃんの家の方じゃない、すごい事故だねーと…」
夏がめぐってくる度に
五百二十人の命が一瞬のうちに消えてしまった日航機の事故と
生きる希望を失っていた自分を重ね合わせている
残された遺族の人たちの思いが今も伝わってくる

この頃、過去のことを思い出すことが多くなった
苦しく辛かった日々がだんだん遠くなっていく
「今こうしていられる幸せ」を大切にしたい

2005.11.27

                自然からのメッセージ

小春日和の暖かい日 庭に出てあたりを見渡す
空の高さを感じ 風の音や木々のざわめきに耳を澄ましてみる
あたりの野山が色ずく頃 改めて自分の長年住み慣れた風景が
こんなに素晴らしかったのかと感動する
そしてこの自然の中で癒されている自分に気づく
今、私は「いのちの旅 葉っぱのフレディー」という絵本を想いだしている
葉っぱたちは皆それぞれの役割を果たし、散ってゆく…
「いのち」は土や根や木の中の目に見えないところで
新しい葉っぱを生み出そうと準備しています
大自然の設計図は寸分の狂いもなく「いのち」を変化させ続けているのです
また 春が巡ってきました

春、夏、秋、冬、山も川も、花も木もみなそれぞれの役割を果たしている
生きているいるものにはすべて役割というものがある
そして「いのち」の大切さを感じている

アズちゃんのつぶやき

2006.1.22

                      大雪

 年末からお正月にかけて、今年は二十年ぶりの大雪にみまわれ、私の住む沼田でも
前に積もった雪が溶けないうちに、次の雪が降り積もるといった日が続いている。
 一面の銀世界が朝日に照らされるシーンはなんとも美しいもの・・・
この真っ白な世界に今年は何を刻んでゆくのだろうかと、思いを馳せたものの、また
今日も降り続く雪に自然の猛威を思い知らされる。
車椅子での外出は勿論のこと、働いている人たちも大変な思いをしていることでしょう。
 雪の重さで家が倒壊したり、屋根から落ちてきた雪の下敷きにリ命を亡くしてしまったり
道路凍結でのスリップ事故など・・・

この冬の日本列島を襲った豪雪に、雪国の人たちの戦いはまだまだ続く。
この異常気象は地球の温暖化のためなのでしょうか・・・
    私達もこの豊かな自然を守るために、小さなことでもいいから
    何かお手伝いをしたいものです。

2006.10
               還暦同窓会

 8月のある日、一通の手紙が届いた。
それは中学校の同窓会の連絡だった。中学校を卒業して45年(間違いないと思う)・・・
今年還暦の年を迎えるにあたって、皆で集まりましょうという知らせだった。
 私の頭の中は遠い昔にタイムスリップしていた。 利根川と赤城山が見渡せる景色の良い高台に
『月夜野第一中学校』はあった。 
毎日、利根川にかかる月夜野橋を渡り学校へ通っていた。ここから見る赤城山は裾野を前橋の方に
長くひき、利根川を挟み反対側には雪をかぶった谷川岳がそそり立ち、いつ見ても素晴らしい景色だ。
こんな自然に囲まれた環境の中で皆伸び伸びと育んでいった。
 今は素敵な名前だった月夜野町も合併により、みなかみま町となり、私たちの通っていた中学校は
廃校となり、ずいぶん様変わりしてしまった。
でもここに育ち学んだ、卒業生は長い年月を経ても相変わらず名前で呼び合う仲間。

 私は生憎、同窓会に参加することが出来なかった。
せっかくの機会、何とか気持ちだけでも皆の仲間入りがしたかった。そこで日頃かきためた絵手紙を
印刷して渡すことにした。110枚の絵手紙が完成。何年か前のものもあって出来栄えはいろいろ。
しかし、これで少しでも、私のことを思い出してくれる人がいてくれたらと願いながら・・・
 同窓会後、110枚の絵手紙の返事が何枚か舞い込んで来た。
それは、手紙、メール、電話等。また同窓会帰りに家に訪れてくれる友もいて、まるで同窓会に参加
出来たような懐かしい気分に浸ることが出来た。

      友からの便りに心躍らせる
      やっぱり良かった障害者になっても皆と同じ気持ちでいられて・・・  
      生きていて良かったと思う今日この頃・・・
      残された日々を大切にいろいろな思い出作りをしていこう・・・
2006.4.5           『元気になれるとき』

 ここ何年か沼田市保健センターで、月二回行われる機能訓練に参加していた。
介護保険の対象にならない人たちの集まりです。
午後の二時間、ちょっとしたリハビリとゲーム、おまけにおしゃべりとお茶の時間がプラスされ
楽しいひと時だった。私にとって、なぜか「元気になれるとき」・・・
その機能訓練が四月からなくなってしまった。
 いろいろな人たちの中で、社会参加することも大切なことだと思うけれど、同じように
ハンディーを持った仲間同士、ありのままの自分をさらけ出して過せる時間は大切だった。

 でも、予算の関係、諸事情により仕方のない事なのでしょうか・・・
ちょっと淋しい気もするがこれをきっかけに、この場で知り合った友達との【和】を繋いで行く
事が出来たらいいのですが・・・
2006.8.15               『褒め上手』

 足も手もまともに動かなくなってしまった。こんな私に何が出来るのだろうか・・・
長かった病院でのリハビリを卒業し、課題を抱えたまま退院したあの頃。
まずはどんなに時間をかけても、残された機能を最大限使って自分のことは自分ですること。
次に、どんな小さなことでもいいから家族のために出来ることを探すこと。次に、自分に出来る
楽しみを見つけること。
1番目、2番目の課題は何とかクリアー。さて、3番目の課題はあれこれやってみるものの何時も
自分ひとりでは出来ない歯がゆさに限界を感じていた。。

 そんな時、前から知り合いだった水墨画の先生に誘われて2年くらいお稽古をしたことがある。
鉛筆もまともに握れないのにとても無理、まして墨と筆と聴いただけで・・・
まっすぐの線を描こうと思っても、ふらふらしてしまってなかなか思うようにはいかない。
途中で、失敗と投げ出そうと思うと「これで良いから続けて描いてみて、これが味があっていいのよ」と
先生の褒め言葉に乗せられて、何となく私にも出来るかな。「うん」これで良いのかと暗示にかけられ
お稽古の日が待ちどうしく、楽しくなっていた。

  「褒められるということ」はそうでないと解っていてもとっても嬉しいこと・・・
  そして、その快感がやる気へとつながっていく。
  「褒めるということ」は簡単なようで難しいこと・・・
  ついもう少し、もう少しという気持ちが先立ち、褒めることを忘れてしまいがち・・・
  良いところを見つけて褒めることが出来る「褒めじょうず」って素晴らしいことですね。
  
2007.3.3             『マジックハンド』

 私の必需品。マジックハンドとは言いがたいがL字型に曲がったフックと手を引っ掛けて持つ
ように、マジックベルトのついた棒が部屋のあちこちにおいてある。
その場所によって長いの、短いの、中くらいのと・・・
いざという時には結構これが効力を果たし役に立つものである。
 私には車椅子がなかったらどこへも移動することが出来ない。車椅子に乗ればある程度は
自由に過すことが出来るのだが、しかし落とした物を拾ったり手の届かない物を取ったりする
時には人に頼むしかない。
ところがこのマジックハンドがあると、床に落ちたものを引っ掛けて拾ったり、棚の上や冷蔵庫の
上の段から、必要なものを引き摺り下ろしたりすることが出来るという訳です。
握力のない手で棒を使いこなすには業が必要なので、、せっかく頑張ってマジックハンドを振り 
回しても、目的を達成できずあきらめなければならないことも多い。
 このマジックハンドは22年前「村山病院」を退院する時に、リハビリの先生に作ってもらった
優れもので今でも愛用している。
 障害があって不自由している人にも、いろいろのアイディアや工夫を生かせば活動範囲が
広がるものだと、あらためてこのマジックハンドのありがたさを感じている。
2007.5.10

               『桜の花の散る頃』

 この頃になると思い出すことがある。それは私が病院に入院していたときの事だ。
もう1ヶ月以上経つというのに、まだベッドから起き上がることさえ侭ならない状態だったが午後の
30分位、ほとんど背もたれを倒した車椅子で、病院内を散歩できるようになった。
付き添いのおばさんが、今日は天気も良いしまだ桜の花も見られるからと言って病院の外へ連れて
行ってくれた。
 あたりの山々にはまだ残雪が残り、空は眩しいほどに青かった。桜の花びらが風に舞い顔の上に
降りかかってくる。何時も見慣れている景色のはずだったのに、何だか知らないところへ来ている様
な気がしていた。1ヶ月ぶりに車椅子に乗せてもらい空を見上げている自分が不思議に思えた。
いったい私は何をしているのだろうか・・・
嬉しいと言うよりはただボンヤリと空を見上げているだけ。お見舞いに来てくれた人が「車椅子に乗れる
ようになったんだって、はじめて外へ出られた時の感動はどんな事?」と聞かれたが何て言ったら良いか
言葉が見つからなかった。まだ私の心の中に、桜をめでる余裕などとてもなかったのだ。
 あの桜の散る季節が何回巡って来たのだろうか・・・
今は主人と毎年桜を追いかけて旅に出かけられるようになれた.。何百年と言う時を経た巨木、昔を偲ぶ
お城の桜、長く続く桜のトンネル・・・
皆それぞれを物語るように咲きつづけている、桜の生命力と力強さに魅せられて・・・・
 帰りの車の中では、何時ものように「また来年、桜に会うことが出来たら良いね」と話しながら。

続く